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その1のつづき・・・ VF:2010年の前に? JL:休みが取れたらの話だけどね。 VF:それでは2010年の前はないのですか?それとも・・・ JL:もちろんEM第一ですよ。私の契約は2008年までだから。 VF:この先のプランは? JL:今はEMに向けて全力を傾けています。でももちろん若い選手たちのことも考えて2010年に向けていくつものことを試していますが。だけど2010年のことははまだ遠い話ですね。 VF:代表監督の肩書きに慣れるのにどのくらいの時間を要しましたか? JL:2年前の時ほど自分の人生が変わることはないと思っていました。肩書きを重荷とは感じていません。私は既に代表チームの一員だったし、ユルゲン・クリンスマンは私に責任のある仕事をたくさん任せてくれていたから。 VF:しかしながら責任はより重くなったのでは? JL:そうですね。代表チームの中での私の仕事はほとんど変わっていないのですが、むしろ変わったのは自分の周囲ですね。最近はメディアのインタビューがいくつもあって、余計に気をつかいますね。いつも公の場に置かれている感じです。実際のところプライベートライフなんてもう望めませんよ。どこかに出かけても気づかれて突然声かけられたりするのってすごいエネルギーを使うんです。この状況を正しく理解するのに既に半年使ってしまった。 VF:この6ヶ月に何がありましたか? JL:もっとしっかりタイムマネジメントを学ばねばなりませんでした。ここはコンセプトワークの時間、ここは公の場に出て行く仕事、ここはマスコミに対応する時間・・・といった具合にその日のはっきりした予定をたてるためにね。コンセプトワークに集中しなければならない時は2時間携帯の電源切ってます。 VF:でもあなたの自宅のあるフライブルクでは平穏に過ごせているでしょう? JL:就任したてのころはあっちにもパパラッチがわいて出てあちこちかぎまわっていたました。 レーヴはどこのレストランに行くんだ?どこでヘアカットしてるんだ?どこのカフェにいくんだ?一緒に連れてる人間は誰だ?といった具合にね。バカンス先にも来たし、自分がパブリックビジネスの一部になってしまったと感じましたね。自分がそうなったのは仕方ないけど私の家族についてはこの先も話す気はありません。私の妻も自分が代表監督の妻ではなく彼女個人としてみなされたいと思っているし・・・ VF:VfBシュトゥットガルトの元会長でDFBであなたのボスでもあったゲアハルト・マイヤー・フォーフェルダーは「ヨギはクリンスマンの元で大いに威厳と忍耐力を身につけた」といっていました。具体的に何が変わったと思いますか? JL:私は35歳で突然VfBの監督になりました。まだ若くてうかれていたところもありました。だから今ではしでかさない失敗をまねくこともあったでしょう。 VF:例えばどんなことが? JL:あの頃は時々「これでいいのかな?」とおもいながらチームを指揮していることもありました。権威は自分自身に確信を持てたときに身につくんだと思います。自分の中の考えがはっきりしてこそ人を納得させることが出来るのだと思います。 VF:いつそれを得ることができたのですか? JL:何年も経験を積む事によってですね。でも代表のアシスタントコーチになってからの2年間は私にとってとりわけ重要でした。ユルゲン・クリンスマンには学ばされることが多かった。明確なコンセプトを持って、チーム全体にそれを浸透させて貫きとおしたところとかね。 (つづく)
by n-elle
| 2007-08-02 00:38
| インタビューとか
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